gyabunekoの部屋

レトロPC(MSX)でChiptune音楽、ゲーム、その他いろいろ趣味について書いてます。

「命の使い方(時間の使い方)」について考えてみた

《おことわり》

 

文中には、諸説あるものや事実誤認があるかも知れません。
一応、論拠となるソースは示していますが、全体的には、あくまでも『私の解釈では、こうだ』という内容ですので、それを踏まえたうえで、お読み下さい。

 

(要は、「こんな学者でも何でもない只の素人が書いた駄文をマジになって読むなよ。話半分で読んどけよ」、って事ですw)

 

 

 

 

《では本題に入ります》

 

令和4年(2022年)4月21日の朝日新聞DIGITALの記事を読んだら、『韓国外交省「深い失望と遺憾」 岸田首相の靖国神社への真榊奉納に』だと・・・・
https://www.asahi.com/articles/ASQ4P4CTZQ4PUHBI01B.html

 


また特定アジアのイチャモンが始まったか・・・

・・・・┐(´д`)┌ ヤレヤレ

 

このように、靖国神社参拝した事をわざわざ記事にする意図は、『どうぞ、日本に内政干渉して下さい』と言わんばかりの「特定アジアに向けた告げ口(御注進)」というやつなのでしょうね。

これは、ほぼほぼ「外患誘致」と言ってもいいでしょう。

 

 

靖国神社は、日本人の死生観を表しています。
アーリントン墓地は、アメリカ人の死生観を表しています。
この場合で言う「死生観」とは、「国柄(国家アイデンティティ)」と同じ意味だと思います。
なので、国家の殉死者の祀り方は各国それぞれですから、その祀り方に対して他国政府から文句や威嚇や干渉されても、

 

『(# ゚Д゚) 知るかボケ!』

 

と、政治家もマスコミも知識人も、突っ撥ねれば良いのですよw

 

 

警官や消防士や自衛官が職務遂行中に亡くなったら殉職という事で二階級特進で最大限の敬意を示しますが、戦死した軍人を靖国神社に英霊として祀るのも、それと同じ事だと思います。
それは、『あなたたちの死は、決して犬死にではないのだ』とする「殉職した方たちとその御遺族や御子息の尊厳を守るため」であり、それが祀る人々の矜持(信念、プライド)であり死生観であり決意表明ではないかと思うからであります。


【参考文献】(但し「提供している情報には諸説ある場合があります」との事)
ダ・ヴィンチweb
殉職した警察官が二階級特進するのは本当?消防士や自衛隊員の場合は?/毎日雑学
https://ddnavi.com/serial/648337/a/

 

 

しかし、戦後体制から始まった『いわゆる戦後民主主義教育(これは、アメリカナイズされた民主主義の価値観を日本人に刷り込む目的で行われたGHQによる洗脳工作(WGIP)の一環という説もあるようです)』が私たちに刷り込んだ「生命至上主義と金銭至上主義」の価値観を絶対普遍の基準として考えると、こうはならず、靖国神社に祀られた英霊の御親族やその御子息に対して、『軍人だったあなたのおじいさんは犬死にだ。だから、悪いのは、あなたのおじいさんを死なせた上官やこの国なのだ。だから、日本人としての矜持(プライド)を捨ててでも、長生きして金儲けさえすればそれで良かったのに、可哀そうにね。残念だったね。でも、我々だけはあなたたち御親族と御子息の味方ですよ』という善人風を吹かせた論理に成るらしい。


だが、このロジックに、私は疑問だ。

 

この論理で語る人たちからは「命の使い方」という概念がスッポリと抜け落ちていて語られていないように思える。

しかし、戦後民主主義教育によって刷り込まれた価値観では、この概念が価値観の枠外なので、そもそもその発想が浮かびようがないのかも知れない。
なので私は、誰もが信じて疑わない「戦後民主主義教育」が植え付けた価値観の額縁を外して「命の使い方とは何ぞや?」を、このブログで考えてみる事にした。

 

 

 

『人間、生まれてきたからには、親から幸運にも貰ったその命を使って、「生きている間に自分は何をすべきか?」という事を、1度でも考えてみた事があるのか?』って話です。
これは、死生観や矜持にも繋がる話であり、戦後から現在に至るまで、いわゆる戦後民主主義教育によって日本人が思考の埒外に置かされて考えないようにさせられてきた話かも知れません。

 

で、ここで勘違いしてもらっては心外なので、念のため言っておきますが、「命の使い方」という話が即『それは、お国のために死ねという事だ』と言ってるのではないのですよ。『お国のために死ぬ事だけが死生観の定義だ』というつもりはありません。

命を掛ける対象が何なのかは人それぞれですし、親から貰った命をどう使おうがそれは各人の自由ですが、私が言いたいのは、『「命の使い方」とは、各人の死生観や矜持と密接に結び付いているのでは?』という事を、ここで言いたかったんですよ。

なので、確固たる矜持や死生観のある人なら、『他人から「お前の親は犬死にだ」という事にされるのだけは嫌だ』と思うのではないでしょうか?

 

 

 

だから、「いわゆる戦後民主主義教育」を受けた日本人が刷り込まれたのは、『どうせ~したって、無駄な足掻きさ』という「ニヒリズム虚無主義)」なのではないかと思います。その典型が、東京裁判史観(自虐史観とも言う)で贖罪意識を徹底的に刷り込まれた「敗戦利得者」たちです。

彼らが世界に向かって何かを主張する時は、まるで『どうぞ日本を鞭で打って~』と喘ぐマゾヒストさながらで、それはそれは同じ日本人として恥ずべき所業であります。

 

例えるなら、「敗戦利得者」とは、「本人の手は汚さずに誰かを生贄(スケープゴート)に差し出して善人になろうとするイジメっ子たちのような存在」であり、学校教育の現場でもイジメを見て見ぬ振りを決め込んだ教師や加害者生徒の親がひた隠しにしようとするイジメられた生徒に対する逸脱した犯罪行為が明るみになってからようやく取って付けたかのような釈明会見を開くといった報道が度々目されるようになったのも、GHQから合法組織のお墨付きを与えられた日本共産党(※1)の派生版である日教組(※2)が広めた「戦後民主主義教育」による弊害が遠因にあるのではないかと、私は疑っています。

 

 

(※1)日本共産党が合法組織と成った経緯は、「共産党をたたく12章 魔力の正体を衝く(鍋山貞親・著)」の83~84ページの画像(アメリカから賜与された自由)を参照。
https://twitter.com/gyabuneko/status/1495267933366685702

 


(※2)(ウィキペディアより引用)「共同被告同志に告ぐる書」を参照
(「戦後日教組など左派労組を組織し、日本社会党を結成したメンバーは、日本共産党からの転向組である。」との事)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%90%8C%E5%BF%97%E3%81%AB%E5%91%8A%E3%81%90%E3%82%8B%E6%9B%B8

 

 

 

 

 

ここで我に返って、『じゃあ、分不相応にもここまでの御託を並べくさった、そういう自分はどうなのさ?』と振り返ってみる訳ですが、私にとっての「命の使い方」というのは、「何か作品を創って残す事」だと思って、動画や音楽を創って投稿してるわけなんですよね。

 

別に何も、有名になるために創ってるわけでも金持ちになるためでもなく、これは、いっぱしの有名クリエイターを気取った単なる自己陶酔か自己満足に過ぎないのかも知れないけど、要は「生きた証」を残したくてやってるんですよね。


だから、ネットに投稿した私の作品が今現在リアルタイムで評価されるかどうかはには、あまり拘ってないんですよ。

だって、ネットに私の作品を投稿すればそれが半永久的にネットのクラウドストレージに残るし、この先20年~30年後の世界でも私の作品のジャンルに興味のある人がそのカテゴリーで検索すれば、私の作品を視たり聴いたりする事がいつでも出来るわけですからね?

 

まぁ、ぶっちゃけ言ってしまえば、ネットに投稿されている各人の諸々の作品(このブログもねw)は、「遺言」みたいなものだと言えるでしょうね。

 

ただ、動画サイトとかのプラットフォームが規約変更など何らかの事情でサービス終了してしまう可能性もあるのだが、その時は投稿作品も雲散霧消だろうけどね(「クラウド(雲)」だけにw)。

そうなったら、それはそれでしょうがないと諦めているが、それを想定して、自分の投稿作品だけは、HDDやBD-Rなどのリムーバブルメディアに保存しているわけだけどね(将来、新規で立ち上がった配信サイトに移行した場合を想定して、保存してますw)

 

 

且つて1990年代に起きた忘れもしないチェルノブイリ原発事故や6月4日の天安門事件などを題材にした爆風スランプの「I.B.W.」の曲が頭の中で鳴っている状態で今この文章を纏めているんだけど、その90年代の空気と現在の世相が、どことなく被ってるような気がする今日この頃。


ほら、あれですよ、「歴史は繰り返す」って言うじゃないですか。

この諺って、煩悩多き人間の愚かさ浅ましさをズバリ象徴している言葉だな~、と私は思ってるんですけどね。

 

そして今や、「チェルノブイリ」という地名は、ロシア・ウクライナ紛争真っ只中の世界情勢で、現在は「チョルノービ」という地名に変更されてしまい、『これじゃぁ、アーケードゲームのチェルノブの立場は一体どうなるんだよ? 従兄弟のカルノフはどう思ってんのかな~?』とか、まぁ、それはどうでもいいとして、DECOゲーに罪は無いw

 

「ロシアを憎んでテトリスを憎まず」だよw(「マトリョーシカ」も「テルミン」もね)。
行け!チェルノブ!カルノフテトリステルミンマトリョーシカ!我が前に敵無し!
ただれた仲間だ! 人畜無害の人材! エキセントリック少年ボウイ!

 

 

 

 


『てめぇの足元を見ないまま、いたずらに時を過ごしている日本の、あしたはどっちだ!?』

 

(ここ最近、wowowオンデマンドで配信しているアニメ「あしたのジョー」に嵌まっている影響で、こんなセリフがポンと出てきたが、次回予告で丹下段平を演じる藤岡重慶さんのダミ声を想像しながらセリフを読んで下さいw)