では、私がこれまでに聴いてきた音楽を年代順に語っていきます。
保育園~小学4年中期あたりまでは、アニソン、特撮ヒーローソング、映画音楽のオムニバスサントラ、ムード音楽のインストオムニバスサントラを聴いていました。
2歳くらいの頃は、オムニバスサントラLP-BOX(以下の画像)に入っているインストのムード音楽を、ほぼ毎日聴いていました。
以下は、そのサントラに入ってた原曲を、私がchiptuneアレンジした動画です(おまけでは、曲中の作者コメント有り)。
同じく、こっちも(曲中の作者コメント無し)。
ちなみに、当時の私は非常に落ち着きが無い子で、親は四六時中目が離せなかったらしいのですが、レコードプレーヤーを預けてさえおけばおとなしくしているので、日がなレコードプレーヤーにかじりついてはこの曲を聴いていました。
もともとレコードプレーヤーは親が使うために買ったものだったのですが、先程の理由から私が占有してしまい、事実上、私の玩具になってしまいました・・・(´∀`;)
レコードプレーヤーは当時の子供には相当高価な玩具でしたが、他の玩具には目もくれず、明けても暮れても飽きもせずレコードを掛けていたので、両親曰く「ちょっと変わった子」だったらしいです。
このアルバムに入っている「異国の丘」はほぼ毎日繰り返し聴いていたので子供心に刷り込まれ、それ以降、この曲は私の作風の土台になっているような気がします。
小学4年後期は、アニソンや特撮ヒーロー主題歌を聴いてるのを同級生から馬鹿にされ、それからは歌番組(ザ・ベストテン)を視るようになりましたw
そこで、それまで流行には無頓着だった私は「ヒットチャート」というものを知り、流行を意識して歌謡曲(現在で言う処の「Jポップ」)を聴くようになりました。
ただ、私は基本的に流行には今現在も無頓着で、どちらかというと皮膚感覚に合うものを好んで聴くスタイルなので、積極的にヒットチャートを追いかけたりはしません。なので、世間一般とは感覚がズレているかもしれません・・・(´∀`;)ウーン…
中学に入ってからは、買って貰ったラジカセでほぼ毎日FM放送をエアチェック(録音)していました。YMOや洋楽を聴き始めたのも、この頃でした。
実は、YMOは小学生当時からその存在だけは知っていたのですが、流行に無頓着だったため、その頃は積極的にYMOの曲は聴いていませんでした。なので、「ライディーン」という曲も、アニソンの「勇者ライディーン」の歌だと思っていましたw
しかし、偶然にもFMラジオでYMOの曲が流れてきてそれを録音して聴いた事がきっかけで、「何だか分からないけど、面白い音で癖になる曲だな~」と思ってたら、気が付くとすっかり嵌まってしまい、それからはレコード屋さんに行ってその曲が入っているアルバムを探しに行きました。
が、タイトルがうろ覚えだったため、「多分このアルバムに入っているだろう」と思って買ったのが、YMOのファーストアルバム(国内版)でした(以下の画像)。
後で知ったのですが、ラジオで聴いた曲のタイトルは「ビハインド・ザ・マスク」だったので、このアルバムには残念ながらそれが入っていませんでした。
目当ての曲が入ってなくて「あ~あ、これは外れだな」と最初思ったものの、「待てよ?何だこれは?何だか分からないけど、癖になるサウンドだ!」と、聴けば聴くほどに、このファーストアルバムは、外れどころか大当たりでした!Σ(´∀`;)
それ以来、すっかりYMOフリークになり、アルバムをコツコツ買い集めるようになりました。その流れで、YMOメンバーのソロアルバムや関連書籍なども逐一チェックして買っていました。
流行に敏感な同級生からは「今更YMO聴いてるの?時代遅れ~」とか言われましたが、熱中できる音楽を見つけた私は、周りが何を言おうと全く気にもしませんでした。
今になって思うと、流行に無頓着とか熱中できるものをひたすらやる私のこうした気質はマイペースというか、それ以前に生まれつきの「オタク」だったのかもしれません・・・(^ω^;)
・・・あ、そういえば、ラジオでYMOの曲を聴くようになったきっかけは、近所の友達から借りて聴いたシングル(忌野清志郎+坂本龍一の「い・け・な・い・ルージュマジック」)だったなぁ。
そのB面に入ってる曲(タイトル忘れたけど「♪明るい、農村!」とか歌ってる曲)のシンセの音色を聴いたら、自分ん家にあるSN比と歪率が悪い安価なモジュラーステレオコンポのグレードが上がったように聴こえたので、「よしっ!これからはシンセを使った曲を聴こう!」と思って、それからYMOを聴くようになったんだったっけ。
で、その近所の友達ん家に行くと、高級なステレオコンポがあって、その音質が自分ん家にあるモジュラーステレオとは段違いに良くて羨ましかったので、そうした背景もあってか「悪い音をどのようにして良い音にするか?」という発想になっていたのかも知れない。
そうした自分の「ハイファイ志向」が、YMOの曲を聴くように向かわせた内的衝動だったのかも知れない・・・(´-`).oO
高校に入ってからは、「YMO」「カルチャークラブ」「デュラン・デュラン」「安全地帯」の曲を主に聴いていました。
そんなある日の事、弟が何やらちょっと変わったレコードを同級生から借りてきたのです。(以下の画像)
「まさか、ここでまたYMOのメンバーの名前を目にする事になるとは!Σ(´∀`;) 」
で、早速アルバムを聴いてみたら、ゼビウスとギャラガは途中からアレンジバージョンになっていた他は、ゲーム基板から直接録ったような曲でした。
自分としては、これはかなりショッキングな出来事で、それはYMOのファーストアルバムを聴いた時以上のインパクトでした。
ゲーム音楽の可能性の片鱗は、YMOの国内版ファーストアルバムに収録の「アクロバット」にも伺えたが、そこに可能性を見出した細野晴臣氏は凄いと思った。
「このミュージシャンは奇才だ!」と・・・!Σ(´∀`;)
それ以来、ゲーム音楽の魅力にすっかり嵌まった私ですが、当時は私の周りでそれを聴いている人は皆無で、ゲーム音楽は言わば「傍流」でした。
当時の私の周囲の大半は、洋楽やバンド系の曲を聴く人が多かったのですが、これもやっぱり、皆、文化祭のバンド演奏に憧れてたからなのかな~、と(私もそうでしたがw)
その頃、私の周りではBOOWYの曲が流行っていたのですが、私にはそれが何なのか分からず、菊池桃子主演の映画「テラ戦士BOY」の事かと思っていましたw
そんな傍流だったゲーム音楽でしたが、そうした状況を打開(?)すべく、「ゲーム音楽を皆に認知させてやろう!」と思い立ち、昼休みにゲーム音楽を掛けてもらうために放送委員に掛け合って、ゲーム音楽のサントラを録ったカセットテープを手渡したのです。(その基になったサントラは、以下の画像)。
ちなみに、この時の放送委員はBOOWYのコピーバンドもやっていたので、昼休みはその曲を流してる事が多かったのですが、ここで私は「TAITO GAME MUSIC」をリクエストするという暴挙に出ましたw
これで、皆から一体どういう反応が返ってくるのかと、期待と不安が交錯した・・・
そして昼食の時間となり、教室にいた生徒の反応をつぶさに観察していたら、男子の一人が『はぁ?何じゃこりゃ?』と怪訝そうな反応だったが、女子の一人が『あっ!影の伝説だ!』と叫んだ時に、
「してやったりーっ!どうだっ!これが、あのYAMAHA DX7直系のFM音源のYM2203を2つ搭載したアーケード版のサウンドだぜっ!ファミコン版とは格が違うんだぜぃっ!」
と、心の中でガッツポーズを取っていましたw
その反応に気を良くした私は調子に乗って、次の回にはこれも掛けてもらってましたw(以下の画像)。
この時は、OUTRUNの「パッシング・ブリーズ」を掛けてもらったのですが、以外にも反応が無かった。
それまでのいわゆる矩形波のピコピコサウンドではなく、限りなくフージョンバンドサウンドに近いSEGAの最新音源技術を使ったサウンドと銘打ったサントラでしたが、その甲斐も空しく、周囲は無反応でした・・・(´・ω・`)ショボーン
それと並行して、パソコンクラブに在籍していた私は、そこにあったパソコン(SHARP MZ-700)を使って、以下の雑誌を見ながらゲーム音楽のプログラムを打ち込んでいました(ここでも、ゲーム音楽を皆に認知させるためのPR活動をしていたw)
クラブ活動中に、ナムコのゲーム音楽を色々打ち込んでその曲プログラムを実行していたら、クラブに遊びに来てた人たちが、『あ!コレ聴いた事ある!』って言ってくれたのが嬉しかった (´∀`)
そういえば、当時クラブにはMZ-700が2台あったので、今考えたら2台使って2和音鳴らそうと思えば鳴らせたんだなぁ。MZ-700の同期演奏、試しておけば良かったなぁ・・・(´∀`;)ウーン…
同期演奏と言っても『せーの!RUN!』って、手動でしか出来なかったろうけどw
今でこそゲーム音楽は市民権を得ていますが、自分が過ごした80年代当時は、ゲーム音楽ファンの自分にとっては肩身の狭い不遇の時代でした(個人の感想です)・・・(´∀`;)
そして、飽きもせずに同じ事をやり続けているうちにChiptuneという波がやって来たので、ここで「時代がようやく自分に追いついたのか!」とか勝手に思ってたりしていますw
(というか、時代の最後尾にいたのが周回遅れで最先端になったように見えているだけかもしれませんがw)
でも、何にせよ、夢中になれるものを見つけたのは、良かったと思っています。