2024年(文化の日)にプレミア公開した動画「自宅で、ひとりYMOコピーバンド文化祭ごっこ」のレポート
文化祭や学園祭でバンド演奏やライブが盛り上がる季節に、『自分もそれにあやかってやってみようかな~』とプレミア公開したのが、以下の動画でした。
(プレミア公開告知期間中の2週間ずっとスタンバってましたw)
「文化の日」に自宅で、ひとりYMOコピーバンド文化祭ごっこ(13曲演奏してみた)
公開が始まるや、チャットにフォロワーからのコメントが流れてきて、その時は内輪ノリで自分も楽しんでましたが、公開が終わってから視聴者からの感想の通知が続々来るわ、再生回数も留まるところを知らずわで(2024年11月17日現在、20,013回再生)、『何でこんな自己満足のジャイアンリサイタルが、こんなに受けてるの?』と、ここまで反応が返って来るとは思わなかっただけに、ビックリしました。
自分の演奏はミスタッチが多いし、演奏が走ってて伴奏と合ってないし、決して上手いとは言えない演奏ですが、「文化祭ごっこ」という事で大目に緩る~く見てくれてる視聴者に助けられたんだろうな~と思いました。
この「YMOコピーバンド文化祭ごっこ動画」ですが、これは、『80年代中期の高校文化祭でBOOWYコピーバンドとBARBEE BOYSコピーバンドの対バン』という設定で撮影しましたw
高校当時、文化祭でBOOWYやBARBEE BOYSなどのコピーバンドをやってる同級生を見て、『俺もやってやるぜ!』と発奮しながら、ひとり自宅でシンセ弾いてたり、MSXでゲーム音楽のプログラムを黙々と打ち込みしてたり、シンセとMSXを使って多重録音とかしてました。
それと並行して、毎月買ってたYMO関連の音楽雑誌「KEYPLE」に載ってるYMOコピーバンドやってる学生さんの文化祭ライブの写真を見ながら『いいな~いいな~自分も文化祭でライブやってみたいな~』と思いつつ創作活動に勤しむ日々を送ってました。
これが、その「KEYPLE」です(以下)。
高校生だった当時に読んだ、KEYPLE(NO.5)(自由國民社 昭和59年[1984年]11月1日発行)掲載の特集(SONY SMC-777版の内蔵PSGを使った音楽ツール)を見て、
— ぎゃぶねこ (@gyabuneko) 2023年4月4日
「MSX内蔵PSGで伴奏鳴らしながらシンセで手弾きすれば、文化祭でライブ出来る!」
と思い付いたんだけど、結局、ライブ演奏は夢に終わった😅 https://t.co/ioXo9IN9lW pic.twitter.com/lTPLqUp5Ph
本当は高校当時、文化祭でYMOコピバンをやりたかったんですが実現できず終いで、それが心残りで、文化祭でYMOコピバンのライブ演奏している自分の姿をずっと妄想(笑)しているだけの日々でしたが、あれから40年!『ネットというツールを使って今こそ実現させてやろう!』と思い立って、80年代中期の高校文化祭ライブのノリで演奏してみた動画を投稿した訳ですが、こうしてようやく実現出来ましたw
ただ、本来の意味でのライブとは言えない動画ではあるのですが、「部屋に観客が居るつもりで撮ったライブっぽい演奏を疑似的に再現した動画」だと思って視て戴ければ幸いですw
今回の動画の演奏用に作ったシンセの音色で、KORG POLY-800で再現するには無理だと思っていたARPオデッセイのシンセソロ音色ですが、一応、それっぽい音色はどうにか再現できました(ロケットファクトリーとコズミックサーフィンの演奏で、その再現音色を聞く事が出来ます)。
高校の頃は、サウンドール別冊「YMO Book」に載ってた「YMOサウンドメイキング」を参考に、KORG POLY-800で音色作ってたけど、ポリモジュレーションやオシレーターシンクやPWMのパラメーターが無いPOLY-800では、YMOサウンドを完全再現出来なくて悔しかったな~・・・( ;∀;)
これが「YMO BOOK」。
— ぎゃぶねこ (@gyabuneko) 2019年8月14日
KORG POLYSIXやRoland JUNO60でYMOサウンドを再現するパラメータも図解入りで載ってたり、イーミュレーターやプロフェット5やMC-4をレコーディングでどのように使ってたかの解説もあったりとか、当時のテクノ少年にはたまらない内容でした (^ω^)#YMO三昧 pic.twitter.com/jc6SC7yfww
ところで、興味深い動画を見つけました。
ライブに対するYMOメンバー御三方の考え方が示唆に富んでいて、とても興味深いです。
●(28:29~)細野さんを始め、メンバーは、『ライブよりもレコーディングの方が好き』との事。
●(33:15~) 坂本龍一さんが、『あっ、思い出した!やりたい事・・・茶室みたいな空間で、4人くらいに聴かせるライブをやりたい』との事。
Haruomi Hosono, Ryuichi Sakamoto, Yukihiro Takahashi / YMO / Yellow Magic Orchestra / Interview 2007
この動画で坂本さんが語っていた『茶室で4人くらいに聴かせるライブをやりたい』という話に高橋幸宏さんが、『僕もそれと同じ事を考えてた』という話をしていました。
そういえば、今年、知人が自分ん家に遊びに来た時、部屋でYMOコピバンライブ生演奏を披露したんだけど、坂本さんや高橋さんが言ってた事って、こういう事なのか!?
(ただ、自分のは茶室じゃなくて、和室でのお座敷ライブでしたがw)
そのうちに、「千のナイフ」とか「B2-UNIT」に入ってる曲もやってみたいな~。メチャ難しい曲だけど、練習やアレンジ次第で、どうにか演奏出来ないものかな・・・・・(^ω^;)うーん・・・・
KEYPLE(NO.5)(自由國民社 昭和59年[1984年]11月1日発行)坂本龍一関連の箇所だけを抜粋。
— ぎゃぶねこ (@gyabuneko) 2023年4月4日
30年くらい前に、ピアノ教室で戦メリを練習してた時は、この本のやつを見ながら練習してました。
ディスコグラフィーで千のナイフのレビューを見たら、78年当時でこのサウンドをやってのけたのは革新的! pic.twitter.com/SFiSNQFCe5
3月11日の誕生日にプレミア公開した「自宅で、ひとりYMOコピーバンド文化祭ごっこ」のレポート
3月11日は誕生日という事で、ここはひとつ、ものは試しに、YouTubeのプレミア公開機能を使って動画を配信してみようかと思い、動画投稿の1週間くらい前から演奏を練習してましたが、ギリギリ間に合いまいた。
今回初めてのプレミア公開でしたので、果たして視に来てくれる人がいるのかどうか期待と不安が入り混じった心境でしたが、いざ公開が始まるや、ぼちぼち視聴者が集まって来てはチャットに感想を書き込んでくれたりと、当初想像していた以上に反応が良かったので、やって良かったと思いました。
実は、「星飛雄馬がクリスマスパーティーを開いたら、誰も来なかった(アニメ「巨人の星」で、そういう場面があったんですよw)」みたいな展開も想像してたのですが、そうならなくて本当に良かったな~と、今は胸を撫で下ろしています・・・(´∀`;)
動画を視聴しながらチャットを読んでいると、まるで本当に、高校の文化祭の体育館でコピーバンドの演奏を視ているかのような雰囲気に浸れますね。
「おお~!これが、プレミア公開動画の醍醐味か~!」と思いました。
楽しい~! (´∀`)
という訳で、以下のプレミア公開動画は、是非とも「チャットのリプレイ」を表示させながら、ご視聴下さい!「チャットのリプレイを表示」のボタンは、動画リンクを開くと画面右上にあります。
自宅で、ひとりYMOコピーバンド文化祭ごっこ(6曲演奏してみた) - YouTube
演奏途中で、ちょっとした機材トラブル(シンセのボタンが効かなくて音色切替に失敗)や、あちこちミスタッチがあったりズレてたりと、決して上手いとは言えない演奏でしたが、「完璧な演奏を目的とするよりも、まずは投稿だ!」と思ったので、ミスったりトラブったテイクの動画をそのまま投稿しました。
その理由は、今回の動画が「高校の文化祭ごっこ」というコンセプトで、その場の緊張感や勢いやノリを優先するという考え方でしたので、敢えてそうしました。
文化祭のコピーバンドのライブには、演奏中のアクシデントは付きものです。
演奏が始まったら、余程の事でない限り、アクシデントを何とかリカバリーして演奏を続けるしかないのです。それこそ、「ぼっち・ざ・ろっく!」の後藤ひとりが演奏中に弦が切れても、その場に転がってた空のワンカップを使ってボトルネック奏法で乗り切ったように、ね。
演奏パフォーマンスも、動画のコンセプトに沿って、MSXパソコンに繋いだTVモニターが見えるように演出しました。TVをグリーンモニター風にしてみたり、文字列がリアルタイムで刻々変化していくようにプログラムしたのも、そのためです。この演出は、自分の中ではYMOのライブで松武秀樹さんが使ってた「タンス(Moog Synthesizer IIIc)」の位置付けです(タンスとMSXとでは月とスッポンですが、気分はタンスのつもりですw)
あと、グリーンモニター風にしたのは、80年代初頭の8ビットパソコン用モニターで標準だったグリーンモニターを再現したかったからですw
1986年当時の高校の文化祭ライブで、在校生や他校からやって来た生徒にこうした機材の数々を見せつけながら演奏する事は、ある種の「ハッタリ」が利いてて演奏にもインパクトを与えた筈じゃないかな~?と思って、こうした演出を考えた訳なんですよね。
それこそ、ライブを見に来た生徒たちはその機材の数々を見ながら聴く演奏に、『おおおーっ!何じゃーこりゃーっ!?何やってんだか分からんけど、すげーっ!』というリアクションで衝撃を受けたであろうはず・・・という寸法ですよw(中二病かよw)
動画の伴奏は、MSXパソコンに内蔵の「PSG」で鳴らしていますが、この「PSG」とは、矩形波3チャンネルを8オクターブまで鳴らせて、ノイズも1種類まで同時に鳴らせる代物で、「ベース」「サブ」「ドラム」を、このMSXで鳴らしています。
そして、足りないパートを、KORG POLY-800とCASIO SK-1で演奏してる訳ですが、PSGとPOLY-800の相性って、意外と良いんですよね。
と言いますのも、ゲームに詳しいユーザーなら分かるかと思いますが、POLY-800に搭載の音源チップ(MSM5232)は、フィルター機能が付いている矩形波由来の音源チップで、かつては、TAITOやALPHA電子のアーケードゲーム基板にも、PSGとMSM5232の音源チップはペアで搭載されていました。TAITOでは「アウターゾーン」、ALPHA電子では「エクイテス」に、その音源チップが搭載されていた事で有名です。
ちなみに、動画の演奏で鳴ってる音数は、
PSG(3和音)+POLY-800(4和音:デュアルモード)+SK-1(1音)=実質8和音で鳴ってますが、こうして見ると、かなりチープです。
音数が多けりゃ良いってもんじゃないですが、機材の制限があった方が、個人的には楽しく作れます。高機能な機材を持ってても、持て余しちゃうんですよね。
それに加えて、MSXパソコンでの伴奏プログラムは、拡張機能を全く使わない素の「MSX-BASIC」モードで打ち込みましたが、このモードは物凄く制限が多くて使いにくいんですよね。
と言いますのも、テンポがズレない最速の分解能が「テンポ180」の「16分音符」までしか使えないのです。しかも、テンポがズレないテンポ設定値も、実用に耐えうるバリエーションが少なく、プログラミングにも少々面倒臭い技が必要という、非常に厄介な代物なのですw
『あれっ?動画ではA1ST(MSXターボR)を使ってるのに、なぜ、わざわざそんな苦行をしているんだ?もっと楽な方法があるだろ?』と思うでしょ?
でも、1986年当時、私が持っていたパソコンが「National CF-3000(MSX1)」だったから、このモードで伴奏プログラムを打ち込まないと、当時の音を再現出来ないんですよw (CF-3000は、訳あって現在は持っていません。理由は後述。)
ただ、当時リアルで所有していた「National CF-3000(MSX1)」を再び用意するのは現実的ではないので、A1STをMSX1モードで使用するという方法に落ち着いたという訳です。
この動画は、「1986年当時の文化祭ライブを再現」というコンセプトで撮ったものですが、1986年当時だと、MSX用のプログラム記録装置はテープレコーダーが主流でプログラムのロード時間も長かったので、仮に、当時実際にライブをやったとしても、カセットテープに録った伴奏カラオケをラジカセで流しながら演奏していたかもしれません。
動画ではA1ST内蔵のFDDで伴奏データをロードして演奏していますが、1986年当時でその機種は発売されておらず、本来ならば有り得ない機材なので、本来の再現を目指すなら、CF-3000を使用してデータレコーダーで伴奏データをロードしてプログラムを実行し演奏、そして演奏が終わったら次の伴奏データをロード中に伴奏パートのカラオケを録ったカセットテープをラジカセで流しつつ演奏、そして演奏中にロードが終わった伴奏データを実行し次の曲を演奏・・・というローテーションのスタイルでやるのが正しいのですが、当時所有していたNational CF-3000までを用意して演奏を再現するのは現実的な方法ではないので、そこは妥協しました。
結局、無いモノはしょうがないんですよ。有り合わせのモノで作るしかないんですよ。
25年前に、National CF-3000とデータレコーダーのセットを中古で売ってしまったのは、今考えると惜しい事をしたな~と思いました・・・(´∀`;)
しかも、ソフトや雑誌も数本付けて、買取価格が確か6,800円だったかな?
ちなみに、その時に中古で売ったソフトは、「オホーツクに消ゆ、トリトーン(テープ版)」「フラッピーリミテッド85(ROM版)」「マイコンジュークボックス、マイコン・サウンドパック(アスキーポケットバンクシリーズの本)」などでした。
「マイコン・サウンドパック」の方は、PSGのレジスタを解析した時の12平均律対応音程値一覧表を纏めたメモ用紙を本に挟んで売ったけど、この本を中古で買った人の中に、私が書いたメモ用紙が挟まってたという人は、果たしているのだろうか・・・?
・・・・(´∀`;)
ありがたい事に、視聴者から「アンコール!アンコール!」のチャットもありましたが、生配信とは違い、予定調和で進んでいく動画配信なので、全6曲の演奏が終わった時点でお開きとさせて戴きました。
私の「高校文化祭ライブごっこ動画」を見に来てくださった皆様、ありがとうございました。おかげさまで、最高の誕生日になりました。
あと、関連ブログのこちらも併せてお読み戴けたら幸いです。
最後に一言(以下の動画)
今日が誕生日の僕は、これに激しく同意なのだ。
— ぎゃぶねこ (@gyabuneko) 2024年3月11日
「誰かの命日は誰かの祝日でもある」のだ。
どっちも同じ位に価値のある日なのだ。 pic.twitter.com/veFhddNqlC
文化祭でYMOコピーバンドライブもどきを再現する「ジャイアンリサイタル」を開催(笑)
昨年から今年にかけて創り続けてきた「YMOの曲を演奏してみた動画」ですが、ある程度の曲数が出来たので、そろそろ、文化祭ライブよろしく、ネット上ではありますが、「ジャイアンリサイタル」を開催してみようかと思ったので、以下のプレイリストを纏めましたw
プレイリストのタイトル、その名も(以下リンク)
YMO文化祭コピーバンドライブもどき(1人で演奏してみた)( ;∀;) - YouTube
それと、先述のプレイリストですが、シンセの鍵盤の真上から撮った「演奏者視点バージョン」もありまして、そちらは、演奏しているコードワークやシンセソロが、どうやって弾いてるのかがよく見えるようになっています。要は、YMOのPVで視た映像を再現したかったんですよねw
ちなみに、演奏者視点バージョンの方は、練習を充分積み重ねてから撮影に臨んだので、いくらかはマシな演奏になってますw
あ、そうだ!この際だから、文化祭の気分を出してみようかと思って、以下のチラシもどきを作ってみたよw どうすか?雰囲気、出てるでしょ?
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1986年度 ●●高校文化祭 コピーバンドライブ
(サブタイトル:ジャイアンリサイタル)
開催日時:●●月●●日 午後2時から
場所:校内の、そこらへんの体育館
【プレイリスト】
1.東風
4.THE END OF ASIA
5.RYDEEN
6.FIRECRACKER
【出演者から一言】
校内の皆!他校の皆!
今の最先端のテクノサウンド、聴かせてやるぜ!
だから、絶対、見に来てくれよな!
♪ボエ~~~~~~~~~~~~~
by gyabuneko
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念のため、言っておきますが、このチラシはジョークでフイクションですから、本気にしないで下さい(笑)
あと、以下リンクでは、このブログのエントリーにまつわる中学高校当時の思い出話を語っているので、こちらも併せてお読み戴けると幸いです。
謹賀新年(今年やりたい事)
今年は、YMOの曲を演奏してみた動画を撮ってアップしたい。
という事で、現在練習中の途中経過の様子を投稿した。
【以下、SoundCloudに投稿した曲】
●YMO(The end of Asia)[KORG POLY-800 MSX-BASIC PSG]
https://soundcloud.com/gyabuneko-ym2413/ymothe-end-of-asiakorg-poly-800-msx-basic-psg
KORG POLY-800で、手弾きのシンセパートを一発録りしてみた(所々ミスってますが😅)
Audacityでミックスした。「学校の文化祭で、体育館で演奏」という想定でエフェクトを掛けたw
【以下、練習中の演奏の動画もアップしました】
https://twitter.com/gyabuneko/status/1741090245104525580
実は、この曲は、1980年代当時、私が中学の頃にエレクトーンでもちょくちょく弾いてたのですが、ちょうどその頃、ドラムセットを持っている近所の同級生である●●君に『ドラムの音を録ったカセットテープがあれば、自分ん家にあるエレクトーンで弾いた音をミックスして多重録音できるよ』と説明してドラムを叩いてもらった事がありまして、その叩いてもらったドラムを録ったカセットテープを借りてきて、自分ん家にあるエレクトーンの拡張入力端子に再生用テレコを繋いでその借りてきたテープを再生しながら弾いたのを、エレクトーンのヘッドホン端子から録音用に用意したラジカセの入力端子に繋いで多重録音した事があったんですよね。
その多重録音の方法ですが、当時のラジカセの標準機能である「3重ミキシング」という機能が付いていたのを覚えているでしょうか? その方法をエレクトーンに応用して録音してたんですよ。エレクトーンに入出力端子が付いているのを見て、「この方法で多重録音できるのでは?」と、中学生当時の自分はそこで閃いた訳ですよw
ドラム入りのカセットテープをエレクトーンの拡張入力端子を介してリズムガイドとして再生しながら弾いたやつをラジカセのLINE入力で録音するというアイデアを思いついたときは、「これは我ながらナイスなアイデアを思いついたな~」と思いましたw
その時に多重録音したテープはその同級生である●●君にあげたんですが、自分ん家に遊びに来て多重録音してる最中を目の当たりにした●●君はかなり驚いていた様子で、この時ばかりは「勝った!」と思いましたw
その頃は、いつも近所の同級生にマウントを取られていて悔しい思いが募っていたので、この時ばかりはスカッとしたな~w
それはまるで、いつもスネ夫にやり込められているのび太がドラえもんの秘密道具で一矢報いたような、そんな心境でしたw
後に、その同級生である●●君は、高校に入ってから文化祭でBOOWYのコピーバンドをやってるメンバーに加わって、文化祭でドラムを叩くようになってて、羨ましかったな~。
(ちなみに、そのコピーバンドをやってたメンバーの同級生(放送委員)の事は、以下のブログでも少しまとめていますw)
で、文化祭でコピーバンドをやってる同級生を見て、「俺もやってやるぜ!」と発奮しながら、ひとり、自宅でシンセ弾いてたり、MSXでゲーム音楽のプログラムを打ち込みしてましたw 高校当時は、自分と同じマニア志向の人が誰もいなくて、ぼっちだったんですよw
・・・という、自分の過去を思い出した元旦の朝。皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
今年もよろしくお願い申し上げます。
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
以下のリンクに、私が演奏した動画のプレイリストを纏めました。YMO関連の演奏してみた系の動画は、以下に纏めてますので、宜しかったらご覧下さい。
父の日が父の命日という偶然
2023年6月18日(日)の今朝、父の日が父の命日だという事に気付いて、色々思うところがあったので、以下に自分の考えを纏めてみる事にした。
ちょっと語弊のある内容かもしれないので、見たくない人は、そのままそっ閉じして帰って欲しい。
もしも興味本位で見たい人は、「こういう変な考え方の人もいるのかw」位に軽く受け流してくれw 単なる自分の戯言ですので、見ても軽く受け流すだけでいいです。
父と母、そして父と母の親族や父と母の知り合いたちが、自分という存在に対して生まれてくる資格を与えてくれた。これを世間一般では「縁」というらしい。
その縁が、この世に自分という存在をもたらしてくれたのだ。これは凄くラッキーな事だ。つまり、「生まれてきただけで丸儲け」なのだ。
だが、それと同時に、「自分は生まれてくる資格を与えられたに相応しい人生を送らなければならない。だが、自分はそれに相応しい人生を送っているのか?」と自問自答もしている。
「自分の命をどう使おうが、本人の自由だろ?」と言ってしまえばそれまでだが、それだけではまだ何か漠然としていて物事の核心や本質を突けていないような気もする。
このようにして、生まれてくる資格を与えられた自分という存在だが、その資格を与えられた意味を、このごろ考えるようになった。
「己が生まれてくる資格」は「両親が結婚する資格」という事にも繋がっているはずだ。それはどういう意味かというと、『経済的にも精神的にも一人前でないと、その人には結婚する資格が無い。』という意味で自分は言っている訳だが、その一人前というやつになるまで時間は待ってはくれない。『あしたって、「今」さ!』という、ジョジョの奇妙な冒険のポコが残した名言にもあるように、ね。
人生とは「見切り発車」のようなものだと思う。見切り発車で結婚し、子を産んで、次世代に希望を繋げていく事を心の拠り所としたのだろう。そのようにして、自分は命を授けられたのかもしれない。
そして、見切り発車で生まれてきた本人もその後は、人生を走りながら考えて行動して自分の人生を切り開いていかなければならなように世の中は出来ている。人は完全無欠な状態で生まれてくる「神」ではないからね。
こうして見切り発車で生まれてくる訳だから、何かしらの欠点(例えば、本人の性格とか)が出てくるのは当然なのだろう。これが「因縁・因果・業障」というやつだ。
親から(そして、それを遡っていくと、親のそのまた親からの)遺伝的に受け継いだ自分の性格や精神は、良くも悪くも「因縁・因果・業障」だ。
本人の性格というものは、そもそも良くも悪くもないフラットなものなのだが、性格が良く作用する時もあれば悪く作用する時もある訳で、それは「コインの裏と表」、表裏一体なんだよな。悪く作用する局面が多い要素の性格は、それはきっと「直さなければならない性格」なのだろう。
自分は今、性格の軌道修正の真っ只中にいる。この問題はいつ解決できるのかは分からない。或いは、これは死ぬまで解決できない問題かも知れない。それでも、この軌道修正は自分自身の生涯の課題として受け止めている。次世代に希望を繋げる事をよすがとした親のそのまた親のためにもね。
公共心を欠いた「タガの外れた自己顕示欲」が、私たちの日常の当たり前(平穏無事)を破壊する。
以下の記事を見つけて、ちょっと思うところがあったので、このブログで纏めてみました。
≪「Yahoo!Japanニュースサイト」より(弁護士ドットコムニュースの記事を引用)≫
回転寿司で「他人注文のすし」食う動画拡散…はま寿司は警察に相談「到底容認できない」 2023/1/13(金) 19:03配信
私は、このような、食べ物に卑しい人の品性が嫌なのですが、それ以上に嫌な事は、「公共の場を弁えていない心」と「自己中心的な歪んだ自己顕示欲」です。
先述の記事と似たような事例で、コンビニの店員が冷蔵庫に入ってふざけたりとかが新聞沙汰になってた事があるのを覚えている人もいるかと思いますが、こうした事を平気でやってしまう共通点は「公共の場を弁えていない心(公共心が無い事)」だと思います。
では、何故こんな非常識な事をやらかしてしまうのか?を考えてみますと、仲間内だけの世界しか見ていないため、仲間内だけでしか通用しない自己中心的行動が及ぼす公共の迷惑を考える想像力が働かなくて、ついつい調子に乗って非常識な事をやらかしてしまうのでしょうね。
あのような公共心を欠いた行動の根底には、「どんな手段を使ってでも、世間の注目を浴びればそれで良いんだ。自分さえ気持ち良ければそれでいいんだ。」という歪んだ自己顕示欲と自己中心主義的な心理もあるような気がします。
まぁ、でも、あのような迷惑動画を投稿している「何者かに成りたい事を渇望している10代の若者」の、『世間の注目を浴びたい!称賛されたい!スゲーやつだと思われたい!』と思う気持ちもあるのかな~?とは思いますが(かつて10代だった頃の自分も、分不相応にもかかわらず楽して何者かに成りたい事を渇望していたので、その気持ちも分かるような気がしますが)、ただ、リアルな社会では取り返しのつかない事も実際ありますからね。だから、SNSという道具は、内輪感覚で使ってはいけない取扱注意な道具なんですよね。
作家の百田尚樹さんの動画を見て、特にそう思いました。
(18:30~25:23までの箇所に注目)
あと、これも。
9:32から13:30までが、東日本大震災に関する動画ですが、世の中には、取り返しがつかない事もあります。
その意味で、「デジタルタトゥー」とは「覆水盆に返らず」なのです。
そして、これも。
本人から反省の声はあったようですが、ネットに投稿するという事は「公共の場に全てを晒す行為である」という事を肝に銘じて、よく考えてから投稿するようにしてほしいです。
且つて軍事技術だったインターネットは一部の選ばれた人のみが使う事が許されていましたが、その技術が民間へ開放された事によって普通の一般人も皆情報発信できるようになり、しかもその普通の一般人の誰もが手軽に何者かに成れるようになったのは良い事なのか悪い事なのか?を考えさせられました。
つまり、「SNS」というツールは、その構造自体が、「誰でも手軽に有名人になれる、自己顕示欲と承認欲求をくすぐる仕掛けが組み込まれているのでは?」という事です。
インターネットが存在しなかった時代は、普通の一般人が世間の注目を浴びるためには、新聞の読者投稿覧に投書や作品が掲載されるか、葉書職人になって作品が雑誌に掲載されるか、ゲームプログラムなどの作品を雑誌に投稿して掲載されるといった方法がせいぜいでしたが、そうした労苦もせずに、分不相応で高望みな承認欲求を手軽に得られるようにしてしまったのは、SNSの罪だな~と思いました。
なので、SNSというシステムには、そうした危険な麻薬的魔力が仕掛けられている道具であるという事を理解した上で使わないといけないな~と思いました。先ほど「SNSは取扱注意の道具である」と言ったのは、そういう意味なのです。
というわけで、私は、SNSという道具の中には「喪黒福造」が住んでいると思って使っていますw
調子に乗り過ぎてSNSを使っていると、喪黒福造に・・・
ド━━━━m9(゚∀゚)━━━━ン!!
・・・とやられて、後で取り返しのつかない事にもなりかねない、というわけですね。
いや~SNSは怖いですね~怖いですね~。
でも、本当に怖いのは、SNSを使う人の「心」かもしれませんね~。
心の隙間がある人にとっては、楽して承認欲求を満たしてくれるネットやSNSは「毒」です。そうした人は、ネットからは距離を取った方が精神的にも健康になれるかもしれませんね~。
SNSは確かに面白いですが、身を持ち崩さない程度にSNSと付き合う位が丁度良いんじゃございませんかね~?
でも、調子に乗り過ぎては、ダメ。ゼッタイ。
おーほっほっほっほっ・・・・・ (・∀・)
(と、笑ゥせぇるすまんの喪黒福造っぽく言ってみたw)
且つては軍事技術であり、一部の専門家のみが使える環境にしか置かれていなかったインターネットという技術ですが、技術の進歩でそのインターネットという技術が民間へ開放されて誰もがネットを使える社会になったのは確かに良い事です。
しかし、それを使う側の心が進歩しないままでは、皆あのようになってしまう可能性も無いとは言いきれないでしょうね(無論、私も例外ではない)。
「アンリ・フレデリック・アミエル (ヘンリー・F・アミエル)」というスイスの哲学者が、こういう格言を残しています。
『社会の進歩があるとともに、一方に精神の堕落がある』
(これを意訳すると、『ありがとうの感謝が無ければ、文明は欲望に走るだけである』という事らしいです。ちなみに、この格言と意訳は、「エース株式会社(創業者:新川柳作)のカレンダー」に記されていた言葉から引用しました(以下の画像)。)

ではここで、ACE株式会社の暦に記載のアンリ・フレデリック・アミエル(ヘンリー・F・アミエル:スイスの哲学者)の格言を紹介。
— ぎゃぶねこ (@gyabuneko) 2024年3月20日
ありがとうの感謝が無ければ、文明は欲望に走るだけである。
感謝の心が無い人は、責任の伴わない無制限な自由と権利を要求する。それは無秩序無政府社会の火種だ。要注意 pic.twitter.com/P6UMcWqsV1
とは言うものの、私は、科学や技術がどんなに進歩しても、人間の心だけは進歩しないと思っているんだけど、せめて、ネットという技術が当たり前のように私たち民間人にも使わせてもらえるようになったこの社会に対する感謝だけは忘れないようにしたいです。
それは何故かというと、インターネットの恩恵や有難みを一切感じず当然のように欲望の赴くままにSNSを使っていると、私も調子に乗って非常識な事を仕出かしてしまいかねないと思っているからです。その戒めとして、この事は肝に銘じているつもりです。
「SNS」という道具の中には、人間の承認欲求や自己顕示欲をくすぐる「魔物」が住んでいるような気がします。だから、その魔物に心が乗っ取られてしまうと見境が無くなり、先述のような迷惑動画を投稿するなどといった非常識な行動をやらかしてしまうのでしょうね。
ネットもSNSも便利な道具ですが、便利さに溺れて欲望の赴くままに使ってると、後で取り返しがつかない事態にも成りかねないので、注意して使わないといけませんね。
で、先述の回転寿司横取り盗み食いの記事の件ですが、あれは、「歪んだ自己顕示欲」と「公共の場を弁えない心」が相まって、あのような非常識な事をやらかしたのではないかと思います。
先述の記事で再認識したのは、「公共の場の安全安心とは当たり前ではなく、公共心の欠いた自己中心主義者によって、いとも容易く壊されてしまう。」という事です。
つまり、平穏無事な皆の暮らしを維持するためには、「一人一人の公共心」に掛かっているのではないか?という事です。
逆に言えば、当たり前の平穏無事な皆の日常を破壊するのは、「公共心を欠いたタガの外れた自己顕示欲(これは、煩悩に飲まれた見境の無い状態とも言える)」なのではないか?という事でもあります。
「煩悩」の話が出たついでに言いますが、「分かっちゃいるけど、やめられない」というのも人間の性(さが)というか業(ごう)だと思いますが、というか、そもそも、人間という存在自体が、煩悩からは一生逃れられない宿命を背負っている存在だと自分は思っています。これだから人間には、解脱は不可能なんだよね。
だから「私は解脱出来た」って言ってる奴は、詐欺師なんだよなw (「んな訳ねぇだろw」ってなもんですよw)
なので、そんな宿命を背負った存在である人間がせいぜい出来る事と言えば、自分自身で煩悩をコントロールして、上手に自分の煩悩と付き合っていくしかないんだよな。
それは「酒」と同じで、煩悩に飲まれるから、調子に乗って非常識な事を仕出かしてしまうんだろうな~・・・・・と思う今日この頃です。
「酒は飲んでも飲まれるな」って言うじゃないですか。「煩悩」も同じですよ。
だから日本人には、大みそかに除夜の鐘を聴いて煩悩を退散させるという習慣があるのだと思います。
「命の使い方(時間の使い方)」について考えてみた
《おことわり》
文中には、諸説あるものや事実誤認があるかも知れません。
一応、論拠となるソースは示していますが、全体的には、あくまでも『私の解釈では、こうだ』という内容ですので、それを踏まえたうえで、お読み下さい。
(要は、「こんな学者でも何でもない只の素人が書いた駄文をマジになって読むなよ。話半分で読んどけよ」、って事ですw)
《では本題に入ります》
令和4年(2022年)4月21日の朝日新聞DIGITALの記事を読んだら、『韓国外交省「深い失望と遺憾」 岸田首相の靖国神社への真榊奉納に』だと・・・・
https://www.asahi.com/articles/ASQ4P4CTZQ4PUHBI01B.html
また特定アジアのイチャモンが始まったか・・・
・・・・┐(´д`)┌ ヤレヤレ
このように、靖国神社参拝した事をわざわざ記事にする意図は、『どうぞ、日本に内政干渉して下さい』と言わんばかりの「特定アジアに向けた告げ口(御注進)」というやつなのでしょうね。
これは、ほぼほぼ「外患誘致」と言ってもいいでしょう。
靖国神社は、日本人の死生観を表しています。
アーリントン墓地は、アメリカ人の死生観を表しています。
この場合で言う「死生観」とは、「国柄(国家アイデンティティ)」と同じ意味だと思います。
なので、国家の殉死者の祀り方は各国それぞれですから、その祀り方に対して他国政府から文句や威嚇や干渉されても、
『(# ゚Д゚) 知るかボケ!』
と、政治家もマスコミも知識人も、突っ撥ねれば良いのですよw
警官や消防士や自衛官が職務遂行中に亡くなったら殉職という事で二階級特進で最大限の敬意を示しますが、戦死した軍人を靖国神社に英霊として祀るのも、それと同じ事だと思います。
それは、『あなたたちの死は、決して犬死にではないのだ』とする「殉職した方たちとその御遺族や御子息の尊厳を守るため」であり、それが祀る人々の矜持(信念、プライド)であり死生観であり決意表明ではないかと思うからであります。
【参考文献】(但し「提供している情報には諸説ある場合があります」との事)
ダ・ヴィンチweb
殉職した警察官が二階級特進するのは本当?消防士や自衛隊員の場合は?/毎日雑学
https://ddnavi.com/serial/648337/a/
しかし、戦後体制から始まった『いわゆる戦後民主主義教育(これは、アメリカナイズされた民主主義の価値観を日本人に刷り込む目的で行われたGHQによる洗脳工作(WGIP)の一環という説もあるようです)』が私たちに刷り込んだ「生命至上主義と金銭至上主義」の価値観を絶対普遍の基準として考えると、こうはならず、靖国神社に祀られた英霊の御親族やその御子息に対して、『軍人だったあなたのおじいさんは犬死にだ。だから、悪いのは、あなたのおじいさんを死なせた上官やこの国なのだ。だから、日本人としての矜持(プライド)を捨ててでも、長生きして金儲けさえすればそれで良かったのに、可哀そうにね。残念だったね。でも、我々だけはあなたたち御親族と御子息の味方ですよ』という善人風を吹かせた論理に成るらしい。
だが、このロジックに、私は疑問だ。
この論理で語る人たちからは「命の使い方」という概念がスッポリと抜け落ちていて語られていないように思える。
しかし、戦後民主主義教育によって刷り込まれた価値観では、この概念が価値観の枠外なので、そもそもその発想が浮かびようがないのかも知れない。
なので私は、誰もが信じて疑わない「戦後民主主義教育」が植え付けた価値観の額縁を外して「命の使い方とは何ぞや?」を、このブログで考えてみる事にした。
『人間、生まれてきたからには、親から幸運にも貰ったその命を使って、「生きている間に自分は何をすべきか?」という事を、1度でも考えてみた事があるのか?』って話です。
これは、死生観や矜持にも繋がる話であり、戦後から現在に至るまで、いわゆる戦後民主主義教育によって日本人が思考の埒外に置かされて考えないようにさせられてきた話かも知れません。
で、ここで勘違いしてもらっては心外なので、念のため言っておきますが、「命の使い方」という話が即『それは、お国のために死ねという事だ』と言ってるのではないのですよ。『お国のために死ぬ事だけが死生観の定義だ』というつもりはありません。
命を掛ける対象が何なのかは人それぞれですし、親から貰った命をどう使おうがそれは各人の自由ですが、私が言いたいのは、『「命の使い方」とは、各人の死生観や矜持と密接に結び付いているのでは?』という事を、ここで言いたかったんですよ。
なので、確固たる矜持や死生観のある人なら、『他人から「お前の親は犬死にだ」という事にされるのだけは嫌だ』と思うのではないでしょうか?
だから、「いわゆる戦後民主主義教育」を受けた日本人が刷り込まれたのは、『どうせ~したって、無駄な足掻きさ』という「ニヒリズム(虚無主義)」なのではないかと思います。その典型が、東京裁判史観(自虐史観とも言う)で贖罪意識を徹底的に刷り込まれた「敗戦利得者」たちです。
彼らが世界に向かって何かを主張する時は、まるで『どうぞ日本を鞭で打って~』と喘ぐマゾヒストさながらで、それはそれは同じ日本人として恥ずべき所業であります。
例えるなら、「敗戦利得者」とは、「本人の手は汚さずに誰かを生贄(スケープゴート)に差し出して善人になろうとするイジメっ子たちのような存在」であり、学校教育の現場でもイジメを見て見ぬ振りを決め込んだ教師や加害者生徒の親がひた隠しにしようとするイジメられた生徒に対する逸脱した犯罪行為が明るみになってからようやく取って付けたかのような釈明会見を開くといった報道が度々目されるようになったのも、GHQから合法組織のお墨付きを与えられた日本共産党(※1)の派生版である日教組(※2)が広めた「戦後民主主義教育」による弊害が遠因にあるのではないかと、私は疑っています。
(※1)日本共産党が合法組織と成った経緯は、「共産党をたたく12章 魔力の正体を衝く(鍋山貞親・著)」の83~84ページの画像(アメリカから賜与された自由)を参照。
https://twitter.com/gyabuneko/status/1495267933366685702
(※2)(ウィキペディアより引用)「共同被告同志に告ぐる書」を参照
(「戦後日教組など左派労組を組織し、日本社会党を結成したメンバーは、日本共産党からの転向組である。」との事)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%90%8C%E5%BF%97%E3%81%AB%E5%91%8A%E3%81%90%E3%82%8B%E6%9B%B8
ここで我に返って、『じゃあ、分不相応にもここまでの御託を並べくさった、そういう自分はどうなのさ?』と振り返ってみる訳ですが、私にとっての「命の使い方」というのは、「何か作品を創って残す事」だと思って、動画や音楽を創って投稿してるわけなんですよね。
別に何も、有名になるために創ってるわけでも金持ちになるためでもなく、これは、いっぱしの有名クリエイターを気取った単なる自己陶酔か自己満足に過ぎないのかも知れないけど、要は「生きた証」を残したくてやってるんですよね。
だから、ネットに投稿した私の作品が今現在リアルタイムで評価されるかどうかはには、あまり拘ってないんですよ。
だって、ネットに私の作品を投稿すればそれが半永久的にネットのクラウドストレージに残るし、この先20年~30年後の世界でも私の作品のジャンルに興味のある人がそのカテゴリーで検索すれば、私の作品を視たり聴いたりする事がいつでも出来るわけですからね?
まぁ、ぶっちゃけ言ってしまえば、ネットに投稿されている各人の諸々の作品(このブログもねw)は、「遺言」みたいなものだと言えるでしょうね。
ただ、動画サイトとかのプラットフォームが規約変更など何らかの事情でサービス終了してしまう可能性もあるのだが、その時は投稿作品も雲散霧消だろうけどね(「クラウド(雲)」だけにw)。
そうなったら、それはそれでしょうがないと諦めているが、それを想定して、自分の投稿作品だけは、HDDやBD-Rなどのリムーバブルメディアに保存しているわけだけどね(将来、新規で立ち上がった配信サイトに移行した場合を想定して、保存してますw)
且つて1990年代に起きた忘れもしないチェルノブイリ原発事故や6月4日の天安門事件などを題材にした爆風スランプの「I.B.W.」の曲が頭の中で鳴っている状態で今この文章を纏めているんだけど、その90年代の空気と現在の世相が、どことなく被ってるような気がする今日この頃。
ほら、あれですよ、「歴史は繰り返す」って言うじゃないですか。
この諺って、煩悩多き人間の愚かさ浅ましさをズバリ象徴している言葉だな~、と私は思ってるんですけどね。
そして今や、「チェルノブイリ」という地名は、ロシア・ウクライナ紛争真っ只中の世界情勢で、現在は「チョルノービ」という地名に変更されてしまい、『これじゃぁ、アーケードゲームのチェルノブの立場は一体どうなるんだよ? 従兄弟のカルノフはどう思ってんのかな~?』とか、まぁ、それはどうでもいいとして、DECOゲーに罪は無いw
「ロシアを憎んでテトリスを憎まず」だよw(「マトリョーシカ」も「テルミン」もね)。
行け!チェルノブ!カルノフ!テトリス!テルミン!マトリョーシカ!我が前に敵無し!
ただれた仲間だ! 人畜無害の人材! エキセントリック少年ボウイ!
『てめぇの足元を見ないまま、いたずらに時を過ごしている日本の、あしたはどっちだ!?』
(ここ最近、wowowオンデマンドで配信しているアニメ「あしたのジョー」に嵌まっている影響で、こんなセリフがポンと出てきたが、次回予告で丹下段平を演じる藤岡重慶さんのダミ声を想像しながらセリフを読んで下さいw)