gyabunekoの部屋

レトロPC(MSX)でChiptune音楽、ゲーム、その他いろいろ趣味について書いてます。

父の日が父の命日という偶然

2023年6月18日(日)の今朝、父の日が父の命日だという事に気付いて、色々思うところがあったので、以下に自分の考えを纏めてみる事にした。

ちょっと語弊のある内容かもしれないので、見たくない人は、そのままそっ閉じして帰って欲しい。

もしも興味本位で見たい人は、「こういう変な考え方の人もいるのかw」位に軽く受け流してくれw 単なる自分の戯言ですので、見ても軽く受け流すだけでいいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父と母、そして父と母の親族や父と母の知り合いたちが、自分という存在に対して生まれてくる資格を与えてくれた。これを世間一般では「縁」というらしい。
その縁が、この世に自分という存在をもたらしてくれたのだ。これは凄くラッキーな事だ。つまり、「生まれてきただけで丸儲け」なのだ。

 

だが、それと同時に、「自分は生まれてくる資格を与えられたに相応しい人生を送らなければならない。だが、自分はそれに相応しい人生を送っているのか?」と自問自答もしている。
「自分の命をどう使おうが、本人の自由だろ?」と言ってしまえばそれまでだが、それだけでは何かが足りないような気もする。

このようにして、生まれてくる資格を与えられた自分という存在だが、その資格を与えられた意味を、このごろ考えるようになった。

 

 

「己が生まれてくる資格」は「両親が結婚する資格」という事にも繋がっているはずだ。それはどういう意味かというと、『経済的にも精神的にも一人前でないと、その人には結婚する資格が無い。』という意味で自分は言っている訳だが、その一人前というやつになるまで時間は待ってはくれない。『あしたって、「今」さ!』という、ジョジョの奇妙な冒険のポコが残した名言にもあるように、ね。

 

人生とは「見切り発車」のようなものだと思う。見切り発車で結婚し、子を産んで、次世代に希望を繋げていく事を心の拠り所としたのだろう。そのようにして、自分は命を授けられたのかもしれない。
そして、見切り発車で生まれてきた本人もその後は、人生を走りながら考えて行動して自分の人生を切り開いていかなければならなように世の中は出来ている。人は完全無欠な状態で生まれてくる「神」ではないからね。


こうして見切り発車で生まれてくる訳だから、何かしらの欠点(例えば、本人の性格とか)が出てくるのは当然なのだろう。これが「因縁・因果・業障」というやつだ。
親から(そして、それを遡っていくと、親のそのまた親からの)遺伝的に受け継いだ自分の性格や精神は、良くも悪くも「因縁・因果・業障」だ。

 

本人の性格というものは、そもそも良くも悪くもないフラットなものなのだが、性格が良く作用する時もあれば悪く作用する時もある訳で、それは「コインの裏と表」、表裏一体なんだよな。悪く作用する局面が多い要素の性格は、それはきっと「直さなければならない性格」なのだろう。


自分は今、性格の軌道修正の真っ只中にいる。この問題はいつ解決できるのかは分からない。或いは、これは死ぬまで解決できない問題かも知れない。それでも、この軌道修正は自分自身の生涯の課題として受け止めている。次世代に希望を繋げる事をよすがとした親のそのまた親のためにもね。